【17歳でモデルデビュー】彦摩呂の若い頃は本当にイケメンだった?
彦摩呂の芸能活動の原点は、アイドルではなくモデルだった。
2025年10月の文春オンラインの本人インタビューによると、モデルの仕事を始めたのは17歳の高校生時代。きっかけは、アルバイト先のファミリーレストランでの出会いだった。
ファミレスでのスカウトが芸能界入りのきっかけ
当時、彦摩呂は大阪でファミリーレストランのアルバイトをしていた。そこに客として訪れたプロのカメラマンが、彼の容姿に目を留め、写真撮影を依頼したという。
その後、地元のモデルクラブを紹介され、ポージングのレッスンを受けることになった。
最初に担当したのは、スーパーマーケットの紳士服売り場に掲載するポスターやカタログのモデルだった。
本人はインタビューで、当時の仕事について具体的に振り返っている。
- 17歳でモデル活動を開始
- 身長は約170cm
- 当時の服のサイズはMサイズ
- スーツを着替えながら、さまざまなポーズを撮影
- レインコートのカタログなどにも出演
特に興味深いのは、当時のモデルの報酬だ。
彦摩呂によると、アルバイトの時給が480円だった時代に、1日モデルを務めると3万円の報酬を受け取ることもあったという。若くしてモデルの仕事が収入面でも大きな経験になっていたことが分かる。
彦摩呂の20歳写真はどこで見られる?
大きな反響を呼んだのが、2024年1月8日に本人の公式Instagramで公開された20歳当時の写真だ。
成人の日に合わせて、彦摩呂は若い頃の写真を3枚公開。投稿には次のコメントが添えられていた。
私も二十歳がありました~
写真に写っていたのは、現在の柔らかな印象とは異なる、シャープな輪郭と大きな目が特徴的な青年だった。
さらに、本人は現在との体格の違いについてもユーモアを交えてコメントしている。
人間は、環境に適応する生き物です~。先輩からのアドバイスは、食べ過ぎに注意です~笑
この投稿はMANTANWEB、日刊スポーツ、スポニチなどでも取り上げられた。
2022年にもアイドル時代の写真を公開しており、当時のパフォーマンス姿など、現在では貴重なビジュアルを確認できる。
アイドル時代はどれほど痩せていた?
彦摩呂の体型変化については、本人の過去のインタビューが参考になる。
2023年のFRIDAYデジタルのインタビューでは、アイドル時代の体重を約60kgと説明。一方、2025年の文春オンラインでは、デビュー当時の体重について56~58kgほどだったと振り返っている。
取材時期や回想する時点によって数字には違いがあるものの、当時は現在の姿から想像しにくい細身の体型だったことが分かる。
【1988年に幕末塾結成】秋元康プロデュースでアイドルデビュー!
モデルとして活動していた彦摩呂が次に進んだのが、男性アイドルグループ「幕末塾」だった。
ここで押さえておきたいのが、1988年のグループ結成と1989年のCDメジャーデビューは別の出来事という点だ。
幕末塾はどんなグループだった?
2025年の文春オンラインのインタビューで、彦摩呂は幕末塾が誕生するまでの経緯を詳しく語っている。
上京後、原宿のファッションビルで活動する「アイドルボーイズ」のメンバーになったことが転機だった。
アイドルボーイズは、ファッションビルの中庭にあるステージで歌やダンスを披露するグループ。女性会員の投票によってメンバーが選ばれる仕組みだったという。
その後、フジテレビ主催のナイスガイ・コンテストに出場することになり、幕末塾としての活動が始まった。
1988年5月の同コンテストでは、約4万通の応募の中から準グランプリを獲得。グランプリは後に俳優として活躍する吉田栄作だった。
司会を務めていた片岡鶴太郎との縁もあり、メンバーは太田プロダクションに所属することになった。
幕末塾の特徴と彦摩呂の立ち位置
幕末塾が目指していたのは、当時人気を集めていた一世風靡セピアのような硬派なパフォーマンスグループだった。
ただし、単に格好よさを売りにするだけではなかった。
2025年の本人インタビューによると、グループのコンセプトは、硬派で格好いい男性たちが面白いことにも挑戦するというもの。
彦摩呂は関西出身ということもあり、メンバーの中では会話やユーモアを担うポジションだったと振り返っている。
また、歌やダンスだけでなく、下北沢駅前劇場で月1回ほど演劇やコントのライブも行っていた。
この経験は、後の俳優活動やバラエティーでの表現力にもつながっていく。
デビュー曲はTM NETWORKの「Come on Let's Dance」
Come on Let's Dance
幕末塾のメジャーデビュー曲
- プロデュース:秋元康
- 原曲:TM NETWORK
- メジャーデビュー:1989年4月
- ジャンル:男性アイドル・パフォーマンスグループ
幕末塾のデビュー曲は、TM NETWORKの「Come on Let's Dance」のカバーだった。
秋元康がプロデュースを担当したことも大きな特徴だ。
当時のTM NETWORKは、小室哲哉を中心とする音楽活動で人気を集めていた。そんなグループの楽曲をカバーしてデビューすることは、幕末塾にとっても華やかなスタートだった。
所属事務所の公式プロフィールでは、1989年4月にこの楽曲でメジャーデビューしたと紹介されている。
さらに、3枚目のシングル「時代を殴るには自分の素手がいい」は、TBS系ドラマ『びんた』の主題歌に起用された。日本青年館をはじめ全国ツアーも展開している。
幕末塾の活動をめぐる重要な年表
| 時期 | 出来事 | 関係人物・作品 |
|---|---|---|
| 17歳ごろ | モデル活動を開始 | 紳士服ポスターなど |
| 1988年2月ごろ | 幕末塾を結成 | 彦摩呂らメンバー |
| 1988年5月 | ナイスガイ・コンテスト準グランプリ | 吉田栄作、片岡鶴太郎 |
| 1989年4月 | メジャーデビュー | 秋元康、TM NETWORK |
| 1989年 | 映画出演など俳優活動へ | 『冬物語』『ファンシイダンス』 |
| 1990年 | シングル・アルバムなどを展開 | 『押忍!!空手部』 |
| 1992年 | ドラマ出演 | 『刑事貴族3』 |
| 1993年 | 朝ドラなどに出演 | 『ええにょぼ』『白鳥麗子でございます!』 |
| その後 | 情報番組・グルメリポーターへ | 食レポの第一人者に |
| 2026年 | 芸能活動を継続 | YouTube、映画、テレビなど |
1988年デビューと1989年デビュー、どちらが正しい?
インターネット上では、幕末塾のデビュー年が1988年と1989年の両方で紹介されることがある。
これは、グループ結成や芸能界入りの時期と、CDでのメジャーデビューが混同されているためだ。
- 1988年:幕末塾結成、コンテスト準グランプリ獲得
- 1989年4月:『Come on Let's Dance』でメジャーデビュー
この区別をしておけば、彦摩呂のアイドル時代の経歴を正確に理解できる。
【彦摩呂の俳優時代】アイドルからドラマ・映画へ活躍の場を拡大
幕末塾での活動と並行して、彦摩呂は俳優としても仕事を広げていった。
グルメリポーターとして知られる現在のイメージからは意外かもしれないが、映画やテレビドラマへの出演経験は豊富だ。
映画『冬物語』『ファンシイダンス』に出演
所属事務所の太田プロダクションの公式プロフィールには、初期の出演映画として次の作品が掲載されている。
- 『冬物語』(1989年)
- 『ファンシイダンス』(1989年)
- 『押忍!!空手部』(1990年)
1989年公開の『冬物語』は、彦摩呂の映画デビュー作として紹介されている。
さらに『ファンシイダンス』や『押忍!!空手部』など、当時の話題作にも出演した。
アイドルとしての活動だけにとどまらず、俳優として新しいキャリアを築いていた時期だった。
『刑事貴族3』『白鳥麗子でございます!』でテレビドラマにも進出
テレビドラマでは、日本テレビ系の『刑事貴族3』やフジテレビ系の『白鳥麗子でございます!』などに出演。
NHK連続テレビ小説『ええにょぼ』にも出演している。
2016年の週プレNEWSのインタビューでは、『刑事貴族3』で共演した中山忍との関係についても語っていた。
当時の彦摩呂は、いわゆる正統派の二枚目というより、主人公の友人など、親しみやすさを持つ役柄も演じていた。
本人も俳優としての仕事を大切にしており、後にグルメリポーターへ活動の軸を移したからといって、俳優業に限界を感じていたわけではないと説明している。
【グルメリポーターへの転身】彦摩呂が俳優から食レポを選んだ理由
彦摩呂のキャリアを語るうえで欠かせないのが、グルメリポーターへの転身だ。
実はこの転身は、仕事がなくなったから仕方なく選んだものではない。
本人が自分から事務所に希望を伝えた、積極的なキャリア選択だった。
俳優業を辞めるつもりはなかった
2016年の週プレNEWSのインタビューで、彦摩呂はドラマや映画に約20本出演していた時期を振り返っている。
当時、事務所側は俳優業を中心に活動させる考えだったという。
しかし本人は、情報番組のリポーターや旅番組に挑戦したいと考え、社長や副社長に直接希望を伝えた。
理由の一つは、台本のない場所で人と関わることへの興味だった。
彦摩呂は幼い頃から人懐っこい性格で、初対面の人とも自然に打ち解けられるタイプだったと話している。
この性格を生かせる仕事として、リポーターに魅力を感じたのだ。
つまり、俳優からリポーターへの転身は、俳優としての挫折ではなく、自分の得意分野を広げるための選択だった。
「宝石箱や~!」が生まれるまでには10年かかった
彦摩呂の代名詞といえば、海鮮料理を前にしたときの「宝石箱や~!」というフレーズだ。
しかし、最初からこの表現が使えていたわけではない。
週プレNEWSの2016年インタビューによれば、グルメリポーターとして活動を始めて約10年が経過した頃、彦摩呂は表現のマンネリに悩んでいた。
「ぷりっぷり」「ジューシー」「ふわふわ」「サクサク」といった一般的な食感の表現だけでは、自分らしさを出せないと感じていたという。
そこで、映像を見返しながら独自の食レポ技術を研究するようになった。
本人が明かした工夫には、次のようなものがある。
- 料理を見せる際、カメラが寄る時間を意識する。
- 箸で料理を持ち上げてから、映像に収まるまで待つ。
- 店に入るとき、カメラにのれんがかからないよう配慮する。
- 料理に手を添えるなど、画面上でおいしさが伝わる見せ方を研究する。
単に食べて感想を述べるだけではなく、テレビ映像として料理をどう魅力的に見せるかを考えていたのだ。
「海の宝石箱や~!」誕生の裏側
2025年6月、スポニチが報じたTOKYO FM『川島明 そもそもの話』での本人の説明によると、有名なフレーズは北海道でのロケがきっかけだった。
海鮮丼に光が当たり、刺身がキラキラと輝いて見えた瞬間、自然に「海の宝石箱や~!」という言葉が出てきたという。
サバをサファイア、タイをオパール、イクラをルビーに例える感覚は、彦摩呂ならではの表現だ。
このエピソードが示しているのは、長年の現場経験と観察力が、独自の芸風を生み出したということだ。
モデル時代に培った見せ方、俳優時代に身につけた表現力、人と自然に打ち解ける性格。そのすべてがグルメリポーターとしての個性に結びついている。
【2026年最新】彦摩呂は現在60歳!今も芸能活動を継続
2026年10月現在、彦摩呂は60歳。
1966年9月15日生まれで、2026年9月に還暦を迎えた。
若い頃のモデル・アイドル活動から、俳優、グルメリポーターへと活躍の場を変えてきたが、芸能活動は現在も続いている。
公式YouTube「彦飯-HIKOMESHI-」も更新
現在の活動を知るうえで注目したいのが、本人の公式YouTubeチャンネル「彦飯-HIKOMESHI-」だ。
2026年には、グルメロケの様子や日常、仕事の舞台裏などを紹介する動画が公開されている。
ユーチュラが掲載した更新情報では、次のような動画が確認できる。
| 公開時期 | 動画・活動内容 |
|---|---|
| 2026年9月14日 | 還暦を迎えた本人からの報告 |
| 2026年9月18日 | 2年間のダイエットに関する報告 |
| 2026年9月21日 | 日常の仕事やロケの様子 |
| 2026年10月5日 | 生放送とコンサートの舞台裏 |
| 2026年10月12日 | 家系ラーメンの食レポ |
| 2026年10月19日 | 太田プロの仲間との新潟ロケ |
特に2026年10月の動画では、食レポだけでなく、仲間との交流やステージ活動なども取り上げられている。
グルメリポーターという枠にとどまらず、動画メディアを通して自分の活動を発信している点も現在の特徴だ。
2026年公開映画にも出演
俳優としての活動も続いている。
映画.comの出演作品情報には、2026年公開の映画『お終活3 幸春!人生メモリーズ』が掲載されており、彦摩呂は牧師役として出演している。
かつてのアイドル時代から俳優としての経験を積み、現在も映像作品に参加していることが分かる。
彦摩呂のキャリアはなぜ長く続いているのか
彦摩呂の経歴を振り返ると、単に芸能界で生き残ったというより、時代や自分の個性に合わせて表現方法を変えてきたことが分かる。
モデル時代は外見とポージング、アイドル時代は歌やパフォーマンス、俳優時代は演技、リポーター時代は会話と食の表現力を磨いた。
そして現在は、テレビだけでなく動画配信や舞台などにも活動を広げている。
この柔軟さこそが、長年にわたって視聴者に親しまれてきた理由の一つだろう。
【彦摩呂のアイドル時代】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:彦摩呂は昔、本当にアイドルだった?
A1:本当です。1988年に男性アイドルグループ「幕末塾」を結成し、1989年4月に秋元康プロデュースの「Come on Let's Dance」でメジャーデビューしています。
Q2:彦摩呂の20歳の頃の写真はどこで見られる?
A2:本人の公式Instagramで2024年1月8日に公開された写真が、MANTANWEBや日刊スポーツなどで紹介されています。2022年にもアイドル時代の写真が公開されました。
Q3:幕末塾のデビュー曲は何?
A3:TM NETWORKのカバー曲「Come on Let's Dance」です。秋元康がプロデュースを担当し、1989年4月にメジャーデビューしました。
Q4:彦摩呂はアイドル時代、何キロだった?
A4:本人は2023年のFRIDAYのインタビューで約60kg、2025年の文春オンラインのインタビューではデビュー当時56~58kgほどだったと振り返っています。
Q5:彦摩呂はなぜ俳優からグルメリポーターになった?
A5:本人が情報番組や旅番組のリポーターを希望し、事務所に直接相談したことがきっかけです。俳優業に限界を感じたのではなく、人と直接関わる仕事に魅力を感じていたと語っています。
Q6:彦摩呂は2026年現在、何歳?
A6:1966年9月15日生まれのため、2026年10月現在は60歳です。テレビ、映画、公式YouTubeなどで活動を続けています。
まとめ:彦摩呂のアイドル時代は現在の活躍につながる原点だった
彦摩呂の若い頃を振り返ると、現在のグルメリポーターとしての姿とは異なる、モデル・アイドル・俳優という華やかな経歴が見えてくる。
17歳でモデルとして活動を始め、1988年に幕末塾を結成。1989年には秋元康プロデュースの「Come on Let's Dance」でメジャーデビューし、映画やテレビドラマでも活躍した。
その後、本人の希望で情報番組のリポーターに挑戦。食べ物の魅力を伝える技術を自ら研究し、「宝石箱や~!」という誰もが知る表現を生み出した。
2024年に公開された20歳当時の写真は、若い頃の彦摩呂の魅力を改めて伝えるものだった。そして2026年、還暦を迎えた現在も、テレビや映画、YouTubeなどで活動を続けている。
彦摩呂の魅力は、単に若い頃が格好よかったという話だけではない。モデルとして身につけた見せ方、アイドル時代の表現力、俳優としての経験、そして人懐っこい性格を生かしたリポート技術。それらを積み重ねて、現在の独自のポジションを築いてきたことにある。
アイドル時代は過去の一ページではなく、現在の彦摩呂を形作った大切な原点なのである。 (出典: 彦摩 呂 アイドル 時代(Yahoo!ニュース))
斉藤 桃子 (Momoka Saito)
Webライター最新のトレンドや話題のニュースをわかりやすく解説するWebライターです。読者の皆様に役立つ情報を日々お届けしています。
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