デヴィ夫人の昔は?根本七保子の少女時代から27歳の亡命写真まで徹底解説
テレビで見せる華やかな衣装と歯に衣着せぬ発言で知られるデヴィ夫人。若い頃の写真を見ると、現在とはまた違った気品と美しさがあり、「昔はどんな女性だったの?」「本当に17歳で芸能活動をしていたの?」と気になる人も多い。デヴィ夫人は、もともと根本七保子(ねもと・なおこ)という名前で東京に生まれ、女優を目指して芸能プロダクションに所属した後、19歳でインドネシアのスカルノ大統領と出会った人物だ。
特に注目されるのが、1967年9月に撮影された27歳当時の写真である。生後6か月の娘カリナさんを抱く姿は、本人の公式ブログやInstagramでも紹介されてきた。少女時代から大統領夫人、パリ亡命、国際社交界、そして日本でのタレント活動まで、2026年の最新プロフィールとともに、その人生を時系列でたどる。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 本名:日本名は根本七保子。1940年2月6日、東京生まれ。
- 若い頃:1950年代末に東芸プロダクションの2期生となり、女優を目指して活動していた。
- 運命の出会い:19歳だった1959年、インドネシアのスカルノ大統領と出会い、1962年に結婚した。
- 27歳の写真:1967年9月、生後6か月の娘カリナさんを抱く写真を本人が公開している。
- 現在:2026年10月現在86歳。国際的な活動歴を持つタレント、文化人として知られる。
【本名は根本七保子】デヴィ夫人の生い立ちと少女時代が意外だった
1940年、東京・麻布に生まれた少女
デヴィ夫人は、1940年2月6日、東京で生まれた。日本で過ごした少女時代の名前は根本七保子(ねもと・なおこ)。現在の東京都港区西麻布にあたる霞町が生まれ育った場所である。
華やかな社交界のイメージとは対照的に、幼少期の家庭は決して裕福ではなかった。本人が金融広報中央委員会のインタビューで語ったところによると、父親は大工だったものの目を患い、母親も足が悪く、家計は苦しい状態だったという。
幼い頃から絵を描くことが好きだった七保子さんは、周囲から絵の才能を認められていた。母親は内職でお金を貯め、芸術の先生について絵を学ばせていた。しかし、学校に通うための月謝を母親が知人から借りている場面を目にしたことが、人生の大きな転機になった。
本人はその経験を振り返り、母親を経済的に支えたいと考えるようになったと話している。
中学卒業後は仕事と定時制高校を両立
中学校を卒業した後、七保子さんは千代田生命保険(現在のジブラルタ生命保険につながる会社)に入社した。
昼間は会社で働き、夜は東京都立三田高校の定時制に通う生活を送っていた。仕事だけでなく、昼休みや休日にもアルバイトをして家計を助けていたと本人は語っている。
この時期の経歴で見逃せないのは、単に美貌に恵まれた女性だったわけではないという点だ。絵画や芸術への関心を持ち、働きながら学び、家族を支えるために行動していた。
現在のデヴィ夫人の堂々とした立ち居振る舞いや、国際的な人脈を築いてきた行動力の背景には、こうした若い頃の経験もある。
【17歳の芸能活動】東芸プロダクション2期生だった女優志望時代
東芸プロダクションで演技と日本舞踊を学ぶ
デヴィ夫人の若い頃を語るうえで欠かせないのが、俳優を目指していた時期である。
本人は2017年の公式ブログで、1950年代末に日本の国際俳優として知られた早川雪洲氏が主宰する東芸プロダクションの2期生になったと説明している。
さらに、日本舞踊の花柳梅静先生について学んでいたことも明かしている。演技だけでなく、日本舞踊を通して表現力や所作を身につけようとしていたのだ。
2019年8月には、本人が公式ブログで昔の写真を公開。「ノスタルジックな宝物」と題した投稿には、女優を目指していた頃のブロマイド風の写真も含まれていた。
当時の写真には、長い髪を生かした華やかな姿が残されている。現在のゴージャスなイメージにつながる、若い頃の魅力を感じさせる記録だ。
「17歳で女優デビュー」は正確なのか
インターネットでは「デヴィ夫人は17歳で芸能界入りした」「17歳で東芸プロに所属した」という情報が紹介されることがある。
ただし、本人の公式ブログで確認できる説明は、1950年代末に東芸プロダクションの2期生になったというもの。所属した正確な年齢までは記されていない。
一方、17歳頃の経歴として報道されているのが、高級クラブでの仕事である。2022年のオリコンの番組取材記事では、17歳で赤坂の高級クラブで働き始めたと紹介された。別の過去の報道では18歳で働き始めたという説明もある。
つまり、東芸プロでの芸能活動とクラブ勤務は、それぞれ分けて理解する必要がある。
女優時代はスターではなく、女優を目指していた時期
「デヴィ夫人の女優時代」という言葉から、映画やドラマで主演を務めていた姿を想像する人もいるかもしれない。
しかし、本人が語っている中心的な内容は、女優を目指してプロダクションに所属し、演技や日本舞踊を学んでいたというものだ。
長期にわたる映画・ドラマの主演歴を持つ女優だったという意味ではない。芸能界での本格的な知名度を獲得する前に、人生の舞台がインドネシアへと移ったのである。
この時期の写真は、後の大統領夫人としての姿とは異なる、芸能活動を夢見ていた一人の若い女性の記録として興味深い。
【19歳で運命の出会い】スカルノ元大統領との結婚までの経緯
1959年、東京でスカルノ大統領と出会う
デヴィ夫人の人生を大きく変えたのが、インドネシア初代大統領スカルノ氏との出会いだった。
1959年、当時19歳だった根本七保子さんは、訪日中のスカルノ大統領と知り合った。スカルノ氏は当時58歳前後で、年齢差は約38歳。二人の出会いは、後年のテレビ番組でも本人によって語られている。
2022年1月に放送された読売テレビの番組『八方・陣内・方正の黄金列伝』では、当時の詳しい状況を説明していた。
七保子さんは、インドネシアと日本の貿易関係の仕事をしていた人物のガールフレンドと友人関係にあり、その女性と映画を見るために待ち合わせをしていたという。
待ち合わせ場所の近くをスカルノ大統領一行が通りかかり、従者からお茶会に誘われたことが出会いのきっかけだった。
その後、二人は文通を続け、約3か月後にスカルノ大統領からインドネシアへの旅行に誘われた。2週間程度の滞在を予定していたインドネシア行きが、彼女の人生を大きく変えることになる。
プロポーズを受け、22歳で第三夫人に
スカルノ大統領は七保子さんに対し、自分の人生を支える存在になってほしいという思いを伝えたとされる。
本人は後年のテレビ出演で、そのプロポーズについて、これほど美しい言葉は100年生きても聞けないと思ったという趣旨の思い出を語っている。
そして1962年、22歳でスカルノ大統領と結婚。インドネシア名としてラトナ・サリ・デヴィ・スカルノを名乗るようになった。
この婚姻時期については、1959年と記載する一部の略歴資料もある。しかし、1959年は出会いの年であり、ケンブリッジ大学出版局のインドネシア史資料やフジテレビの番組紹介では、結婚は1962年と整理されている。
スカルノ大統領の第三夫人となったデヴィ夫人は、日本とインドネシアを結ぶ国際的な立場に身を置くことになった。
結婚後は大統領夫人として国際舞台へ
結婚後のデヴィ夫人は、単に大統領の妻という立場にとどまらず、国際的な社交や日本とインドネシアの交流にも関わっていった。
しかし、インドネシアの政治情勢は大きく変化する。1965年の9月30日事件を経てスカルノ政権は弱体化し、1967年には大統領としての権限を失うことになった。
華やかな大統領夫人としての生活は、政治的な混乱によって大きく変わっていく。
【27歳・1967年の写真】娘カリナを抱く姿とパリ亡命の真実
生後6か月の娘を抱く27歳のデヴィ夫人
若い頃のデヴィ夫人の写真のなかでも、特に注目を集めているのが1967年9月に撮影された娘カリナさんとのツーショットである。
2020年10月14日、デヴィ夫人は自身のInstagramで、当時の写真を複数枚公開した。
写真に写っているのは、27歳のデヴィ夫人と、生後6か月の長女カリナさん。セピア色の写真には、幼い娘を大切そうに抱く姿が残されている。
本人は写真について、次のように説明している。
「カリナが6か月の時、お友達のいるサンフランシスコに寄り、カリナのガッドマザー、Cindy Adams(シンディー・アダムス)のいるNYに滞在し、それからパリへと亡命した頃の写真です。1967年9月。」
この説明からも、写真が単なる若い頃の記念写真ではなく、人生の大きな転換期に撮影されたものだったことが分かる。
娘カリナの誕生が人生の新しい転機に
長女カリナさんは1967年に誕生した。スカルノ元大統領との間に生まれた一人娘である。
デヴィ夫人は2019年8月にも、公式ブログで27歳当時の写真を公開している。こちらは生後2か月のカリナさんを抱く写真で、二人がおそろいのドレスを着た姿が紹介された。
本人は娘について、髪の毛が薄かったため男の子によく間違えられたという、母親らしい思い出もつづっている。
2019年の生後2か月の写真と、2020年に紹介された生後6か月の写真は、同じ1967年の異なる時期を伝えるものだ。
1967年のパリ亡命と政治的背景
1967年、スカルノ大統領の政治的な立場が大きく揺らぐなか、デヴィ夫人は幼いカリナさんを連れてパリへ向かった。
本人は2011年の公式ブログでも、1967年にスカルノ大統領が幽閉状態となり、生後6か月の娘を連れてパリに亡命したと振り返っている。
当時は政治的な先行きが不透明で、身の安全も保証されない状況だった。娘を育てながら、住む場所や生活の基盤を新しく築かなければならなかったのである。
なお、略歴資料によってはパリ亡命の年を1970年と記載しているものもある。本人の公式ブログと1992年の『Vanity Fair』の回想記事では、東京を離れてパリへ向かった時期は1967年9月とされている。1970年はスカルノ元大統領が亡くなった年でもあり、年次を混同しないことが大切だ。
デヴィ夫人の若い頃の経歴・年表
ここまでの出来事を、年齢とともに整理すると次のようになる。
| 年代・年齢 | 出来事 | 人物・関係性と意味 |
|---|---|---|
| 1940年・0歳 | 東京に誕生 | 根本七保子として生まれる |
| 1950年代後半 | 東芸プロダクション2期生 | 女優を目指し、日本舞踊などを学ぶ |
| 10代後半 | 仕事と定時制高校を両立 | 保険会社勤務やクラブでの仕事を経験 |
| 1959年・19歳 | スカルノ大統領と出会う | インドネシアとの縁が生まれる |
| 1962年・22歳 | スカルノ大統領と結婚 | 第三夫人となり、デヴィ・スカルノを名乗る |
| 1967年・27歳 | 長女カリナさん誕生 | 母親としての新しい人生が始まる |
| 1967年9月 | 娘とともにパリへ | 本人が亡命時期の写真を公開 |
| 1991年 | ニューヨークへ移住 | 国際的な活動を続ける |
| 1999年 | 東京を活動拠点に | 日本での活動を本格化 |
| 2000年代以降 | テレビ・講演などで活躍 | 日本のタレントとして知名度を高める |
| 2026年・86歳 | 日本を拠点に活動 | 公式ブログや新たな情報発信も継続 |
【東洋の真珠と呼ばれた時代】パリ社交界から日本のタレントへ
パリで築いた国際的な人脈と「東洋の真珠」の呼び名
デヴィ夫人の若い頃を語る際に欠かせないのが、パリでの社交界活動である。
インドネシアの政変後、フランスに生活の拠点を移したデヴィ夫人は、国際的な社交の場で存在感を発揮した。
その美しさと気品から、パリの社交界では「東洋の真珠」と称されたと紹介されている。
この呼び名は単なる容姿への評価だけではない。各国の要人や王侯貴族、文化人との交流を重ね、異なる文化や社会のなかで人脈を築いてきた経歴とも結びついている。
2019年掲載のWendy-Netのインタビューでも、パリでの社交活動と「東洋の真珠」という呼び名が紹介されている。
パリからニューヨーク、そして日本へ
デヴィ夫人はパリでの生活だけにとどまらず、インドネシアで事業に携わる時期も経験した。
その後、1991年にニューヨークへ移住。国連環境計画(UNEP)の特別顧問としての活動や、音楽・慈善活動にも関わっていった。
日本へ活動拠点を戻した時期については、1999年に東京へ移ったとする2008年の『The Japan Times』のインタビューもある。
日本での活動が広がると、テレビ番組への出演が増え、国際社交家としての経歴と独特のキャラクターを生かしたタレント活動が定着していった。
大統領夫人からバラエティータレントへの転身
2000年前後から、日本のテレビ番組でデヴィ夫人の姿を見る機会が増えていった。
華やかな衣装、明快な発言、物怖じしない態度、海外で培った経験を背景にしたコメントなどが、他のタレントとは異なる個性として認識されるようになった。
特に『世界の果てまでイッテQ!』などのバラエティー番組では、出川哲朗さんとの海外ロケ企画などを通じて、体当たりの挑戦を見せる一面も知られるようになった。
さらに、2019年7月にはYouTubeでの活動も開始。テレビだけでなく、インターネットを通じた情報発信にも取り組んできた。
大統領夫人という肩書だけに依存せず、自らの経験や個性を新しいメディアで表現してきたことも、長く注目を集めている理由の一つだ。
【若い頃と現在を比較】デヴィ夫人の昔の画像が美人と話題になる理由
昔の写真で注目される3つの特徴
デヴィ夫人の若い頃の写真が公開されるたびに話題になる理由は、単に若さだけではない。
第一に、当時の写真に残された端正な顔立ちと印象的な目元。第二に、長い髪やドレスを生かした上品なスタイリング。第三に、写真の中に写る姿勢や表情から伝わる落ち着いた雰囲気である。
特に、女優を目指していた東芸プロ時代の写真と、1967年の娘カリナさんとの写真では、同じ人物でも見せる表情が異なる。
前者には芸能活動を志す若い女性らしい華やかさがあり、後者には幼い娘を抱く母親としての柔らかな表情がある。
若い頃と2026年現在の違い
若い頃と現在を比較すると、写真の印象には時代による違いも表れている。
1960年代の写真は、フィルム特有の色合いや当時の撮影技術、ファッションの影響を受けている。一方、現在の写真やテレビ映像では、鮮明なデジタル撮影と現代的な衣装、メイクによって印象が変わる。
それでも、華やかな衣装を好むスタイルや、人前で堂々と振る舞う姿勢には、若い頃から続くデヴィ夫人らしさが感じられる。
比較する際には、加工された画像や出典が不明な写真だけで判断せず、本人が公開した写真や当時の報道写真を確認することが大切だ。
写真を探すなら本人の公式ブログが重要
若い頃の画像を見たい場合、特に参考になるのがデヴィ夫人のオフィシャルブログである。
2019年8月の「ノスタルジックな宝物」では、27歳当時の娘との写真や東芸プロ時代の写真、パリ時代の姿などが公開された。
また、2020年10月の「思い出はセピア色」では、1967年9月の娘との写真が紹介されている。
これらは本人自身が当時の状況を説明しているため、単に年齢を推測した画像まとめよりも、撮影時期や背景を理解しやすい資料となっている。
【2026年最新プロフィール】デヴィ夫人の現在の年齢・経歴・家族
2026年10月現在の基本プロフィール
2026年10月現在、デヴィ夫人は86歳。1940年2月6日生まれで、2027年2月6日に87歳を迎える。
日本で生まれ、インドネシアのスカルノ元大統領の第三夫人となった後、国際社交家、タレント、慈善活動家として幅広い経験を重ねてきた。
- 日本名・旧名:根本七保子(ねもと・なおこ)
- 本名・インドネシア名:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ
- 通称:デヴィ夫人
- 生年月日:1940年2月6日
- 年齢:86歳(2026年10月現在)
- 出生地:東京都
- 元夫:インドネシア初代大統領スカルノ
- 娘:カリナさん
- 主な活動:タレント、国際社交、講演、慈善活動、情報発信
娘カリナさんと家族の現在
デヴィ夫人とスカルノ元大統領の間には、一人娘のカリナさんがいる。
カリナさんは2005年に結婚し、母となったことも本人のブログなどで紹介されている。デヴィ夫人は孫についても言及しており、2019年の写真公開時には、娘が幼かった頃を懐かしむ様子を見せていた。
幼い娘を抱いてパリへ向かった1967年の写真と、娘が家庭を築いた後の現在を比べると、長い年月の流れを感じさせる。
2026年の最新動向と現在の活動
2026年も、デヴィ夫人は自身の公式ブログを通じて発信を続けている。10月には新たにnoteを始めたこともブログで告知しており、従来のブログに加えて情報発信の場を広げている。
一方、2026年10月6日には、元秘書や元マネージャーへの暴行事件をめぐり、東京地方裁判所が罰金20万円の有罪判決を言い渡した。報道によると、2025年に起きた2件の暴行について審理されたもので、判決では罰金20万円が言い渡された。本人は判決後の取材で、シャンパングラスを投げたとの認定については否定する説明もしている。
こうした近年の動向も含め、2026年現在のデヴィ夫人は、長い国際経験を持つ著名人であると同時に、社会的な話題や報道の対象にもなっている。
若い頃の写真だけで人物像を決めつけず、過去の実績と現在の活動を分けて見ることが、彼女の経歴を理解するうえで重要である。
【よくある質問】デヴィ夫人の昔に関するFAQ
Q1:デヴィ夫人の昔の本名は何ですか?
A1:日本名・旧名は根本七保子(ねもと・なおこ)です。1940年2月6日に東京で生まれ、スカルノ大統領との結婚後はラトナ・サリ・デヴィ・スカルノという名前を名乗りました。
Q2:デヴィ夫人は17歳で東芸プロダクションに所属していたのですか?
A2:本人の公式ブログによると、1950年代末に東芸プロダクションの2期生となり、女優を目指していました。ただし、所属した正確な年齢は本人の記述では明示されていません。17歳という年齢は高級クラブで働き始めた時期の報道とも混同されやすいため、区別が必要です。
Q3:デヴィ夫人がスカルノ元大統領と出会ったのは何歳ですか?
A3:1959年、19歳のときです。東京でスカルノ大統領と出会い、その後の交流を経て1962年に結婚しました。
Q4:27歳のデヴィ夫人が娘を抱いている写真はいつ撮影されましたか?
A4:本人が2020年10月に公開した写真は、1967年9月のものです。当時27歳で、生後6か月の長女カリナさんを抱いていました。2019年にも生後2か月の娘を抱いた27歳当時の写真を公開しています。
Q5:デヴィ夫人が「東洋の真珠」と呼ばれたのはなぜですか?
A5:パリの社交界で、その美しさと気品、国際的な交流活動などから「東洋の真珠」と称されたためです。大統領夫人としての経歴だけでなく、パリで築いた人脈や社交活動も背景にあります。
Q6:デヴィ夫人は2026年現在何歳ですか?
A6:2026年10月現在86歳です。1940年2月6日生まれで、2027年2月に87歳になります。
まとめ:【プロの結論】デヴィ夫人の昔は美貌だけでは語れない
デヴィ夫人の若い頃を振り返ると、根本七保子という少女が歩んだ人生は、単なる美人タレントの成功物語ではないことが分かる。
貧しい家庭で育ち、働きながら定時制高校に通い、芸能プロダクションで女優を目指した少女時代。19歳でスカルノ大統領と出会い、22歳で第三夫人となった国際的な転機。さらに27歳では、娘カリナさんを抱いてパリへ向かうという大きな人生の変化を経験した。
その後もパリの社交界、インドネシアでの事業、ニューヨークでの活動、日本でのタレント活動と、何度も生活の舞台を変えてきた。
デヴィ夫人の若い頃の魅力を理解するためのポイントは、写真の美しさと、その写真が撮影された時代背景を一緒に見ることだ。
特に1967年9月の娘カリナさんとの写真は、27歳という若さだけでなく、政治的な混乱のなかで母として新しい生活を切り開こうとしていた時期を伝えている。
「東洋の真珠」と呼ばれた美貌は確かに印象的だ。しかし、それ以上に注目したいのは、環境が変わるたびに新しい役割を引き受け、自らの人生を築いてきた行動力である。
昔の写真から現在の姿までを時系列で見比べることで、デヴィ夫人という人物の本当の魅力と、波乱に満ちた86年間の歩みがより立体的に見えてくる。
(出典: デヴィ 夫人 昔(Yahoo!ニュース))