【文化的遺産】ジュリアナ東京が残したものと現在まで続く影響
ジュリアナ東京は閉店したものの、その文化的な影響は1990年代だけで終わらなかった。
現在でも「ジュリ扇」「お立ち台」「ボディコン」といった言葉は、バブル期を象徴するファッションや娯楽を表現するときに使われる。
ジュリ扇は単なるディスコの小道具ではなかった
ジュリ扇は、羽根をあしらった華やかな扇子で、ジュリアナ東京の象徴として広く知られるようになった。
お立ち台で扇子を振る姿は、音楽やファッションと一体になった視覚的なパフォーマンスだった。テレビ映像を通じて全国に広まり、実際にディスコへ行ったことがない人にもジュリアナ東京のイメージを定着させた。
一方、国立近代美術館の展覧会関連テキストでは、ジュリアナの女性たちの姿を、男性中心の社会の中で生きる女性たちによる一時的な自己表現という視点からも捉えている。
華やかなファッションだけでなく、当時の女性の社会的な立場や自己表現を考えるうえでも、興味深い文化現象だった。
閉店後も復活イベントが開催された
ジュリアナ東京は閉店後も、何度か記念イベントとして再現されている。
代表的なのが2008年9月6日にディファ有明で開催された1日限りの復活イベントだ。エイベックスの創立20周年企画の一環として実施され、お立ち台やジュリ扇、ボディコンなど、当時の演出が再現された。
さらに2021年11月には、開業30周年を記念するイベントが渋谷のCLUB CAMELOTで開催された。
DJジョン・ロビンソンがバーチャルライブで参加し、荒木師匠こと荒木久美子もゲストとして登場。DJ KOOやマーク・パンサーらも出演者として名を連ねた。
閉店から数十年が経過しても、イベントとして再現されることは、ジュリアナ東京が単なる一店舗ではなく、世代を超えて共有される文化的な記憶になっていることを示している。
【プロの結論】ジュリアナ東京跡地を訪れる価値と知っておきたい判断基準
ジュリアナ東京跡地の最大の魅力は、建物が現存しているだけでなく、過去の空間が現在の用途に合わせて再利用されていることだ。
1991年には、若者たちが音楽に合わせて踊るディスコだった場所が、2026年には広告会社のオフィスとして機能している。かつてのお立ち台がデスクに変わり、巨大なダンスフロアが仕事の空間へと転換した。
この変化は、芝浦という街の変遷そのものを映し出している。
現地訪問をおすすめできる人
- 1990年代のディスコ文化やバブル時代に興味がある人
- ジュリアナ東京の実際の所在地を確認したい人
- 建築物のリノベーションや倉庫の再利用に関心がある人
- 東京ポートボウルを利用しながら、芝浦の歴史にも触れたい人
- 昔の写真と現在の建物を比較してみたい人
現地訪問だけでは期待に応えられない人
一方、次のような目的には向いていない。
- 当時のディスコフロアを一般公開している博物館を探している人
- ジュリアナ東京の営業当時のように、お立ち台で踊りたい人
- 建物内部を自由に撮影したい人
- 現地に当時のディスコが営業していると期待している人
第3東運ビルは現在も業務施設として利用されている。過去の内装が一部残されているという情報と、一般向けに見学できるということは別問題だ。
もう一つ知っておきたい東運レジャーのその後
ジュリアナ東京の元経営主体として知られる東運レジャー株式会社については、2014年7月に帝国データバンクが特別清算開始決定を報じている。
同社は1979年設立のボウリング場経営業者で、1991年にジュリアナ東京を開業した。2011年にはボウリング場の運営を別会社へ譲渡し、2014年1月に株主総会の決議で解散していた。
帝国データバンクの報告では、ボウリング人気の低下や競争激化、施設改修による客足の伸び悩みなどが経営悪化の背景として挙げられている。
ここで注意したいのは、東運レジャーの2014年の特別清算と、ジュリアナ東京の1994年の閉店は別の出来事だという点だ。
建物の歴史、店舗の営業終了、運営会社の経営整理は、それぞれ異なる時期に起きている。
跡地を調べる際には、この3つを混同しないことが大切だ。
【ジュリアナ東京跡地】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ジュリアナ東京の跡地は2026年現在どうなっていますか?
A1:東京都港区芝浦1-13-10の第3東運ビルとして現存している。TBWA HAKUHODOのオフィスや東京ポートボウルなどが利用する建物になっており、旧ダンスフロアもオフィスとして再利用されている。
Q2:ジュリアナ東京の住所はどこですか?
A2:東京都港区芝浦1-13-10、第3東運ビルだ。現在の目印は東京ポートボウル。JR田町駅の芝浦口(東口)が最寄りとなる。
Q3:ジュリアナ東京はいつ開業し、いつ閉店しましたか?
A3:1991年5月15日に開業し、1994年8月31日に閉店した。約3年3か月の営業だった。
Q4:ジュリアナ東京の閉店理由は何ですか?
A4:警察の指導や社会的な批判を受けたお立ち台の撤去、客足の減少、リニューアル後も人気を回復できなかったことなどが背景にある。
Q5:ジュリアナ東京のお立ち台は現在も残っていますか?
A5:2026年8月のテレビ番組の紹介では、かつてのお立ち台はデスクに姿を変えていたとされる。かつての設備がそのまま一般公開されているわけではない。
Q6:田町駅からジュリアナ東京跡地までは何分ですか?
A6:東京ポートボウルの公式アクセス案内では、田町駅東口から徒歩約6分。TBWA HAKUHODOの公式案内では芝浦口から徒歩約2分とされている。目的地や案内経路によって表示に差があるため、訪問時は余裕を持って移動したい。
まとめ:ジュリアナ東京跡地は2026年も芝浦に残る歴史的な場所
ジュリアナ東京は1991年5月15日に芝浦で開業し、1994年8月31日に閉店した。約3年3か月という短い営業期間ながら、お立ち台、ジュリ扇、ワンレン・ボディコンといった文化を全国に広め、1990年代の日本を象徴する存在となった。
2026年現在、跡地の第3東運ビルは取り壊されず、TBWA HAKUHODOのオフィスや東京ポートボウルなどが入る建物として活用されている。
特に興味深いのは、かつてのダンスフロアがオフィスに変わり、お立ち台がデスクとして使われていることだ。建物の一部に当時の面影を残しながら、用途を変えて現在まで受け継がれている。
ジュリアナ東京は閉店しても、その場所まで消えたわけではない。
田町駅の芝浦口から第3東運ビルを訪れれば、かつて日本中を熱狂させたディスコの歴史と、現在の芝浦の街並みを同時に感じられる。1990年代を知る世代にとっても、当時を知らない世代にとっても、東京の都市文化の変化を知る手がかりになる場所だ。 (出典: ジュリアナ 東京 跡地(Yahoo!ニュース))
木村 あおい (Aoi Kimura)
メディア編集者最新のトレンドや話題のニュースをわかりやすく解説するWebライターです。読者の皆様に役立つ情報を日々お届けしています。
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