昭和35年は西暦何年?2026年の年齢・干支と1960年の出来事を徹底解説
昭和35年は西暦1960年(昭和35年)です。干支は庚子(かのえね)で、十二支では子(ねずみ)年に当たります。2026年現在、昭和35年生まれの人は、誕生日を迎える前なら65歳、誕生日を迎えた後なら66歳です。
1960年は、日本の歴史において大きな転換点となった年でもあります。日米安全保障条約の改定をめぐる安保闘争、カラーテレビの本放送開始、池田勇人内閣の成立、国民所得倍増計画の閣議決定など、政治・経済・社会の各分野で重要な出来事が相次ぎました。当時の暮らしや時代背景を知ると、昭和35年がどのような時代だったのかも見えてきます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】 - 西暦: 昭和35年は1960年。昭和の年数に1925を足すと西暦になります。 - 年齢・干支: 2026年は65歳または66歳。干支は庚子(ねずみ年)です。 - 歴史的出来事: 60年安保闘争、9月10日のカラーテレビ本放送開始、国民所得倍増計画などが代表的な出来事です。
【基本情報】昭和35年は西暦1960年!和暦・西暦・干支を確認
昭和35年を西暦に換算すると、1960年になります。
昭和は1926年12月25日に始まり、1989年1月7日まで続いた元号です。昭和35年は1960年1月1日から12月31日までに当たり、年の途中で元号が変わることはありません。
昭和35年の基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 和暦 | 昭和35年 |
| 西暦 | 1960年 |
| 干支(十干十二支) | 庚子(かのえね) |
| 十二支 | 子(ね) |
| 動物 | ねずみ |
| 2026年の満年齢 | 65歳または66歳 |
| 還暦を迎えた年 | 2020年 |
| 数え年(2026年) | 67歳 |
昭和35年と1960年の換算方法
昭和の年数から西暦を求める場合は、次の計算式を使います。
西暦=昭和の年数+1925
昭和35年の場合は、
35+1925=1960
となります。
反対に、西暦から昭和の年数を求める場合は、1925を引きます。
1960-1925=35
この方法を使えば、昭和30年は1955年、昭和40年は1965年というように簡単に換算できます。
ただし、昭和元年は1926年12月25日から始まっているため、日付まで正確に調べる場合は元号の切り替わりにも注意が必要です。
昭和35年の干支は庚子(かのえね)
1960年の干支は庚子(かのえね)です。
干支という言葉は、日常会話では十二支だけを指すこともありますが、本来は十干と十二支を組み合わせたものです。
- 十干:庚(かのえ)
- 十二支:子(ね)
- 動物に当てはめた場合:ねずみ
そのため、昭和35年生まれは「ねずみ年生まれ」と呼ばれます。
なお、庚子は60年周期で巡ってくる干支の一つです。十干の庚は五行では金に分類され、子は十二支の最初に位置します。
一般的な生まれ年の干支では1960年生まれは庚子ですが、四柱推命など立春を年の境目とする占術では、1月から2月初旬の生まれについて判定が異なる場合があります。
【2026年最新版】昭和35年生まれは何歳?年齢早見と計算方法
昭和35年生まれの人は、2026年に66歳を迎えます。
ただし、満年齢は誕生日を基準に計算するため、2026年中であっても全員が66歳とは限りません。
2026年現在の年齢は65歳または66歳
1960年生まれの人の年齢は、次のように整理できます。
- 2026年の誕生日を迎える前:65歳
- 2026年の誕生日を迎えた後:66歳
- 2026年の数え年:67歳
例えば、1960年3月生まれなら、2026年3月の誕生日を迎えた時点で66歳です。
一方、1960年12月生まれなら、2026年10月時点では65歳で、12月の誕生日に66歳になります。
年齢を確認するときは、生まれた西暦だけでなく、誕生日が過ぎているかどうかも確認しましょう。
昭和35年生まれの年齢計算式
年齢を簡単に求める場合は、次の計算式が使えます。
2026-1960=66
この66歳は、2026年中に迎える年齢です。
正確な満年齢を求める場合は、次のように考えます。
- 今年の誕生日が過ぎている場合:66歳
- 今年の誕生日がまだの場合:65歳
また、数え年は生まれた年を1歳とし、元日を迎えるごとに1歳加える方式です。2026年の数え年は67歳になります。
満年齢と数え年は異なるため、年齢を記入する書類や公的な手続きでは、原則として満年齢を使用してください。
早生まれの場合は学年にも注意
昭和35年生まれの人について、学校の卒業年や同級生を調べる場合には、誕生日が重要です。
日本の学校制度では、4月2日から翌年4月1日までに生まれた人が同じ学年になります。
そのため、1960年1月1日から4月1日までに生まれた人は、1959年4月2日から12月31日までに生まれた人と同じ学年です。
一方、1960年4月2日から12月31日までに生まれた人は、原則として翌年4月に小学校へ入学する学年になります。
生年月日を確認するときは、年齢と学年を混同しないことが大切です。
【1960年の主な出来事】昭和35年の歴史を年表で振り返る
1960年は、日本の政治と経済が大きく動いた年でした。
特に注目されるのが、日米安全保障条約の改定をめぐる安保闘争です。一方、同じ年にはカラーテレビの本放送が始まり、年末には国民所得倍増計画が閣議決定されました。
国立公文書館の高度経済成長期の年表をもとに、主要な出来事を整理します。
昭和35年・1960年の重要年表
出典は国立公文書館の「年表」および高度経済成長期に関する資料です。安保闘争の経緯については国立国会図書館の歴史資料も参考になります。
この年表から分かるのは、1960年が単に経済成長を始めた年というだけではないことです。
政治的な対立や労働問題が社会を揺るがす一方で、テレビ放送の技術革新や経済政策の転換が進みました。昭和35年は、戦後日本が新しい社会へ向かう過程を象徴する一年だったのです。
【60年安保闘争】1960年の日米安全保障条約改定で何が起きた?
昭和35年の日本を語るうえで、欠かせない出来事が60年安保闘争です。
これは、日米安全保障条約の改定をめぐって起きた大規模な政治・社会運動です。学生、労働組合、市民団体、野党などが改定に反対し、国会周辺を中心に抗議活動が広がりました。
日米安全保障条約はなぜ改定されたのか
もともとの日米安全保障条約は、1951年に締結され、1952年に発効しました。
戦後の日本は、独立後もアメリカとの安全保障関係を維持していました。しかし、従来の条約には、日米間の義務の不均衡や日本の自主性に関する問題があると指摘されていました。
そこで岸信介内閣は、条約の改定を進めます。
1960年1月19日、ワシントンで新しい「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」に調印しました。
新条約では、アメリカによる日本防衛の義務が明記され、日本の施政下において日米いずれかが武力攻撃を受けた場合の共同対処や、日米間の協議なども規定されました。
国立公文書館が公開する条約の公布原本と解説でも、従来の条約からの変更点が確認できます。
1960年5月19日の強行採決が大きな転機に
条約改定をめぐる国会審議は、激しい対立に発展しました。
特に大きな転機となったのが、1960年5月19日です。
この日、衆議院では与党が警官隊を導入し、50日間の会期延長を可決しました。そして翌20日未明の本会議で、新安保条約が承認されました。
国立国会図書館の「史料にみる日本の近代」には、当時の国会の混乱や、衆議院事務総長・鈴木隆夫が残した日誌などが紹介されています。
国会運営のあり方そのものが大きな問題となり、抗議活動はさらに広がっていきました。
樺美智子の死と安保闘争の拡大
1960年6月15日、国会周辺で抗議活動に参加していた人々と警官隊が衝突しました。
このとき、東京大学の学生だった樺美智子(かんば・みちこ)が死亡しました。当時22歳でした。
彼女の死は、60年安保闘争を象徴する出来事として記憶されています。
この事件は、条約の内容をめぐる議論だけでなく、政府の政治運営や国会での意思決定のあり方についても、社会に深い問いを投げかけました。
6月23日に新安保条約が発効
1960年6月23日、新安保条約の批准書が交換され、条約が発効しました。
同日、岸信介首相は退陣を表明し、7月19日には池田勇人内閣が成立します。
その後、日本政府は政治的対立の修復と経済成長を重視する方向へと政策の重点を移していきました。
60年安保闘争は、戦後日本の政治史における重要な節目であり、民主主義や国会政治のあり方を考える際にも取り上げられる出来事です。
【昭和35年当時の暮らし】カラーテレビ本放送と三種の神器の時代
1960年のもう一つの大きな変化が、家庭生活に関わる技術革新です。
昭和35年は、白黒テレビや電気洗濯機、冷蔵庫などの家庭用電化製品が普及していく過程にありました。
同時に、カラーテレビの本放送が始まり、日本の放送文化にも新しい時代が訪れました。
1960年9月10日、日本でカラーテレビ本放送が始まる
1960年9月10日、日本でカラーテレビの本放送が始まりました。
日本記録認定協会の記録によると、NHK、日本テレビ、ラジオ東京テレビ(現在のTBSテレビ)、読売テレビ、朝日放送(現在の朝日放送テレビ)の5局が、NTSC方式による放送を開始しました。
ただし、カラーテレビ放送が始まったからといって、すぐに一般家庭のテレビがカラーになったわけではありません。
当時のカラーテレビ受像機は高価で、放送番組の数も限られていました。
そのため、放送技術の進歩と家庭での実際の普及には時間差がありました。
カラーテレビが一般家庭に広く普及するのは、その後の高度経済成長期に入ってからです。
三種の神器が象徴した豊かな暮らし
昭和30年代の家庭生活を象徴する言葉に「三種の神器」があります。
これは、次の3つの家電製品を指します。
- 白黒テレビ
- 電気洗濯機
- 電気冷蔵庫
これらは、家事の負担を軽減し、家庭生活を便利にする製品として憧れの対象になりました。
1960年の耐久消費財の保有状況を見ると、当時の生活水準がより具体的に分かります。
経済企画庁の消費関連資料をもとにした歴史統計では、人口5万人以上の都市を対象とする調査系列で、1960年の保有率は白黒テレビ44.7%、電気洗濯機40.6%、電気冷蔵庫10.1%でした。
つまり、テレビや洗濯機は徐々に身近になっていた一方、冷蔵庫はまだ十分に普及していなかったのです。
ここには、当時の日本の暮らしを考えるうえで重要なポイントがあります。
カラーテレビの本放送が始まった1960年でも、家庭の生活環境はまだ発展の途中だったということです。
昭和35年の暮らしはどのように変化したのか
高度経済成長によって、家庭用電化製品の生産や販売が伸びていきました。
洗濯機が普及すれば、洗濯にかかる時間や労力を減らせます。冷蔵庫が普及すれば、食品を保存しやすくなります。テレビが家庭に入れば、ニュースや娯楽を家族で共有できるようになります。
こうした変化は、単に便利な家電が増えたという話ではありません。
家庭内の時間の使い方、情報の受け取り方、消費行動まで変えていくものでした。
昭和35年は、その変化が加速していく入口に位置していたのです。
【1960年の歴史的背景】高度経済成長と池田勇人の所得倍増計画
昭和35年を理解するには、当時の日本経済がどのような方向へ進んでいたのかを知る必要があります。
1960年は、戦後復興を終えた日本が、本格的な経済成長へ向かっていた時期です。
政治的な対立が続く一方、政府は経済政策を通じて国民生活の向上を目指していました。
池田勇人内閣が掲げた国民所得倍増計画
1960年7月19日、池田勇人内閣が成立しました。
池田内閣は、岸信介内閣の時代に深刻化した政治的対立を修復し、経済成長を重視する政策を打ち出します。
その代表的な政策が、国民所得倍増計画です。
同年12月27日に閣議決定されたこの計画は、10年以内に国民総生産(GNP)を2倍にすることを目標としていました。
具体的には、次のような政策が掲げられています。
- 道路や港湾など社会資本の充実
- 石油・鉄鋼を中心とする重化学工業の発展
- 輸出の拡大
- 科学技術の振興
- 産業の生産性向上
国立公文書館の解説によると、池田内閣は経済成長を通じて、国民の関心を政治的対立から経済へと転換させることを目指しました。
三井三池争議に見る高度成長の影
一方で、経済成長は社会に新たな問題も生み出しました。
その代表例が三井三池争議です。
1960年には、福岡県の三井三池炭鉱を中心に、大規模な労働争議が発生しました。
背景には、日本のエネルギー政策が石炭から石油へと移行していたことがあります。
石炭産業の合理化や人員削減が進められ、労働者側と企業側の対立が深刻化しました。
国立公文書館の高度経済成長政策に関する資料でも、三井三池争議は戦後最大級の労働争議として取り上げられています。
これは、高度経済成長がすべての人に同じ恩恵をもたらしたわけではないことを示しています。
産業が発展する一方で、古い産業構造に依存していた地域や労働者には、大きな変化への対応が求められました。
【プロの結論】昭和35年は政治・経済・生活が同時に転換した年
昭和35年の歴史的な特徴は、政治、経済、生活の変化が同時進行していたことです。
安保闘争は政治と国民の関係を問い直す出来事でした。国民所得倍増計画は、日本経済が成長を目指す方向性を明確にしました。そしてカラーテレビ本放送や家庭用電化製品の普及は、人々の日常生活を変えていきました。
この3つの動きを切り離して考えるのではなく、戦後日本が新しい社会へ移行する過程として捉えると、1960年の意味がより鮮明になります。
昭和35年は、戦後復興から高度経済成長へ、日本社会が大きく歩みを進めた転換点だったのです。
【昭和35年に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:昭和35年は西暦何年ですか?
A1:昭和35年は1960年です。昭和の年数に1925を足すと西暦を求められます。
Q2:昭和35年生まれは2026年現在何歳ですか?
A2:2026年中に66歳になります。誕生日を迎える前は65歳、誕生日を迎えた後は66歳です。
Q3:昭和35年の干支は何ですか?
A3:庚子(かのえね)です。十二支では子(ね)、動物ではねずみに当たります。
Q4:1960年の日本で最も有名な出来事は何ですか?
A4:代表的な出来事は60年安保闘争です。日米安全保障条約の改定をめぐって大規模な抗議活動が起こりました。同じ年にはカラーテレビ本放送も始まっています。
Q5:1960年にカラーテレビの本放送は始まりましたか?
A5:はい。1960年9月10日にNHKなど5局がカラーテレビの本放送を開始しました。ただし、受像機は高価で、一般家庭への普及にはその後さらに時間がかかりました。
Q6:昭和35年生まれが還暦を迎えたのは何年ですか?
A6:2020年です。1960年生まれの人は、2020年に満60歳となり、2026年には満66歳を迎える年齢になります。
まとめ:昭和35年は1960年、日本の大きな転換点だった
昭和35年は西暦1960年で、干支は庚子(ねずみ年)です。2026年現在、昭和35年生まれの人は誕生日前なら65歳、誕生日後なら66歳になります。
1960年には、60年安保闘争、新日米安全保障条約の発効、カラーテレビ本放送の開始、池田勇人内閣の成立、国民所得倍増計画の閣議決定など、日本の歴史を語るうえで重要な出来事がありました。
また、当時は白黒テレビや洗濯機、冷蔵庫が普及し始め、家庭生活も大きく変化していた時代です。
昭和35年について調べる際には、次の3点を押さえておくと理解しやすくなります。
1. 年号の確認: 昭和35年は1960年。
2. 年齢と干支: 2026年は65歳または66歳、干支は庚子。
3. 歴史的背景: 安保闘争と高度経済成長、テレビ放送のカラー化が同じ年に進んだ。
昭和35年は、戦後日本の政治的な転換と経済的な発展、そして家庭生活の変化が交差した重要な一年です。生まれ年や年齢を確認するだけでなく、当時の社会背景まで知ることで、1960年という時代をより深く理解できます。 (出典: 昭和 35 年(Yahoo!ニュース))